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| 江戸時代の絵画界は、朝廷お抱えの土佐派・円山派の絵師、幕府お抱えの狩野派の絵師、大名お抱えの絵師たちがおり、
またその他の絵師たちは富豪や豪商たちの庇護を受けて描いていたので、絵画は一般庶民にとっては高嶺の花であった。
そのとき浮世絵の元祖、菱川師宣(1618・元和8年〜1694・元禄7年)が現れ、必然的に庶民の要望に応えて画題は従来の花鳥風月・山水等のほかに浮世のもろもろの 事柄即ち遊里の世界、美人画、役者絵、力士絵、芝居絵、武者絵、名所絵、合戦絵等を描き、しかも安価に提供するために肉筆のほか、版画によって大量生産をし、いわゆる浮世絵 が庶民芸術として発達した。 浮世絵は初め、単一の版木による黒一色であったが、鈴木晴信(1725・享保 10年〜1770・明和七年)が工夫を凝らし、多くの版木を用いて多色刷の極彩色の豪華絢爛なる版画ができあがり、それを錦絵と呼んだ。 その後、鳥居清長、喜多川歌麿、勝川春章、東洲斎写楽、葛飾北斎、安藤広重などの名手が続出、全盛を極めた。 しかし幕府は、美人画、役者絵、秘画などが退廃的で贅沢であるとして、寛政の改革や天保の改革で大弾圧をしたので風景画などで明治維新まで続いた。 しかし錦絵は徳川封建社会の生んだ会が芸術であり、文明開化が進むにつれ、印刷や写真などの導入や、生活様式の変化などにより、衰退の一途をたどった。 |